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江戸切子の歴史

 江戸時代に、加賀屋久兵衛という職人が西洋の華麗なガラスに魅了され、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻したことが始まりとされています。薩摩藩主島津斉彬の保護の下、藩の事業として製作された薩摩切子とは対照的に、江戸切子は庶民の手で製作されていました。
 明治に入ると政府は欧米の文化を取り入れ、ガラス製作も政府の一事業となりました。薩摩切子の職人も東京の工場に加わり、薩摩の技術を生かしつつさらに優れた江戸切子の作品を生み出していきました。そして、技術面でも主流だった手すり加工から西洋式のグラインダーによるカッティングが取って代わり、動力も石油エンジンが使用され飛躍的な進歩をとげました。
 切子には透き硝子と色を被せた被硝子があります。また、色を薄く被せ深く鮮明なカットが江戸切子の特徴であり、一方、色を厚く被せ半透明な淡い仕上がりが薩摩切子です。模様は魚子(ななこ)、籠目、麻の葉、菊、格子、花弁などがあり、魚子は18-19世紀にイギリスとアイルランドでも典型的なカット模様でした。
菊籠目
菊籠目
くもの巣
くもの巣
籠目(かごめ)
籠目(かごめ)
菊つなぎ
菊つなぎ
井桁
井桁
うろこ
ななこ
 第一次欧州大戦が勃発すると欧州からのガラス製品の輸入が止まり、この影響で国内での需要が増し、切子は高級品としてだけでなく、コップや食器などの市販品としても製作されるようになりました。
 昭和になると、第二次世界大戦のあおりを受けて硝子工場の数が減っていきました。戦後は機械によるガラス製品の大量生産が進み、江戸切子の職人にとっては厳しい状況となりましたが、組合の発足や東京都より都の伝統工芸品に指定され、その伝統は今も引き継がれ、素晴らしい作品を次々と生み出しています。

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切子作家・黒川昭男について