作品収納用特別化粧箱 |
|
---|---|
作品 | 木版画 7枚揃 保存用マット装 |
箱 | 作品収納用特別化粧箱(揃のみ) 各シートはそれぞれ保存用マットで装幀 7作品をデザイン化粧ケースに収納しています |
寸法 | 作品 38.5cm×27cm 化粧ケース 51cm×39.5cm×4.7cm |
付録 | 大和文華館 館長 国際浮世絵学会 常任理事 浅野秀剛氏の解説書付 |
総結集するにふさわしい『大当狂言』を復刻。ポプラ社の「一刀一絵」に詳しく載っているが、音楽の道に進もうと思っていた立原氏が断念して故郷に帰った時、出会った浮世絵が彼の人生をすっかり変えてしまう。以来、江戸時代の浮世絵の制作記録がどこにも残っていない中、試行錯誤で作品を作り続けた35年—。本物の浮世絵を表から裏から矯めつ眇めつ眺め、材料探しのために全国を行脚し、研究に研究を重ね、そして、やっと見出した答えを総結集するために復刻を試み、2年半かけて制作、完成したのが「大当狂言」である。2014年の全国紙には氏の特集が組まれ、その記事が38紙に掲載されたことは記憶に新しい。
立原位貫氏は今や当代随一の浮世絵師と称されている作家です。ジャズのサックス奏者から転身、25歳で一枚の浮世絵に深く感銘を受け、独学で江戸時代の和紙・絵具の研究・再現に取り組み、すでに画業30数年、これまでに復刻した浮世絵作品は70作を超えています。
江戸時代、浮世絵は絵師・彫師・摺師それぞれの業の結集でありましたが、立原氏はその気の遠くなるような全行程をたった一人で行ないます。このようなことは他に例を見ません。そしてその作品は「極めて保存状態の良い江戸時代の初摺りだ」と評価されるほどであり、世界の美術館がこぞって彼の技術に熱い視線を注いでいます。また、国内外の学会で浮世絵版画の色彩に関する数々の論文を発表し、江戸の色彩学の権威としても高い評価を得てきました。
しかし、立原氏は10年程前から復刻制作を中止し、オリジナル作品の制作に没頭してきたのです。それは、江戸時代の紙と絵具の調達が思うようにゆかなくなったことも一因でした。ところがこの度、紙漉き職人および紅職人との共同開発の結果、幕末期の紙と紅の再現に成功したこと、またコレクターより原画借用が可能になったこともあり、「やり残した浮世絵の仕事がある」と本シリーズ「大当狂言」(歌川国貞作、1814年)の復刻制作に取り組むこととなったのです。1ミリに6本以上の線を彫る「毛割」の技術は他の追随を許さず、立原氏によって色鮮やかに蘇った美しく迫力ある歌舞伎役者たちの表情は、見事という他ありません。氏の持てる業すべてをつぎ込み、こうして全作品が完成いたしました。
この復刻は立原氏だからできたことであり、また限定150部というのも大変な希少価値です。長年の研究の成果があますことなく画面に表現されることになったこの「大当狂言」(7作品)ですが、Sunday Galleryでは現物をご覧いただくことができます。お気軽にお問い合わせください。
Sunday Gallery ☎03-3446-7730(BLUE FLAME内)
額賀 真理子
「大当狂言内」は、18世紀末から19世紀にかけて浮世絵界に君臨した歌川国貞30歳頃の代表的なシリーズである。当時の人気役者の当り芸を一人一図ずつ描いて刊行、現在までに次の7枚が確認されている。「阿古屋(あこや)(三代目中村松江)」、「管丞相(かんのしょうじょう)(七代目市川団十郎)」、「梶原源太(三代目坂東三津五郎)」、「八百屋お七(五代目岩井半四郎)」、「大工六三郎(二代目尾上松助)」、「与次郎(三代目中村歌右衛門)」、「極付幡随長兵衛(五代目松本幸四郎)」。
このシリーズは1814年暮から翌年春頃に制作販売したものである。1800年8月に幕府から「男女之面体衣裳も花美大造に認め」(『類集撰要』)ることが禁止された時代の、華美な白雲母摺の大首絵おおくびえ(上半身を大きく描いたもの)の出版は、新興版元の川口屋と日の出の勢いの国貞が、自身の活動をアピールするために世に出した特別な作品と考えることができるかもしれない。
「大当狂言内」の特徴は、国貞流に誇張され、歌舞伎の虚構性と役者の男性性が前面に押し出されているが、背景の白雲母により役者の魅力を減じない強さを備えている。また表現技法の面で着目されるのは、睫毛と鬘の表現である。上下の睫毛を内側から外側に向けてはっきりと描き出すことは従前には無かったものであり、鬘を装着している事を示すような生え際の線を入れることも新奇な試みといえるであろう。他にも、目や口・耳に微妙に注された紅、衣裳模様に見られる板ぼかしや、大小不整形の斑模様が表す質感は特筆に値する。
現存する作品は、イタリアのジェノヴァ東洋美術館のみに七枚揃って所蔵される。各々の作品も所在が確認されている作品数は極めて少ない貴重なシリーズである。
国際浮世絵学会 常任理事
浅野秀剛
美術を美術としている価値の一つに、「質」がある。「質」という価値は、高いか低いかのきわめて単純な尺度しかない。しかし、ティツィアーノが描いた「ウルビーノのヴィーナス」とアングルの「グランド・オダリスク」のどちらがより高い「質」をもっているかを比較することはできない。なぜなら枠組み、あるいは基準を同じくしていないからである。
美術の「質」は、一定の枠組みという限界の中で、可能性をどれだけ究極まで追求したかによる。立原位貫さんの画業は、江戸の文化の中で究極にまで発達した浮世絵版画という枠組みのなかにあり、それゆえに江戸浮世絵と[質」を競うことができる。そして誰の目にも明らかなように、江戸と寸分違わない高みに達している立原さんの「質」の高さは、浮世絵の復刻という画業を真の美術にまで高めている。
青柳 正規
こんなに鮮やかだった
浮世絵の顔料は殆どが天然素材であるため、どんなに保存状態が良くても長い年月を経て退色していきます。原画を見るとクマドリの赤は紅花を原料としているために退色しています。また、着物に描かれた炎の色は鉛丹という鉱物が原料ですが、金属分を含むため経年変化により黒ずんでいます。これは宿命としかいいようがありませんが、復刻作品ではそれらの色がまるでベールを剥いだように鮮やかによみがえり、この作品の最大の魅力である赤と黒の退避が美しく表現されています。
また本来背景は「雲母摺り(きらずり)」といって、鉱物である雲母の粉が一面に塗ってあり、原画ではその雲母が経年劣化により剥げ落ちています。今回の復刻版では見事に再現されており、角度によってきらきら光る背景は上品の極地で大変美しく、長年の和紙と顔料の研究の大いなる成果により、当時の摺りたての味わいが楽しめます。
[五渡亭・香蝶楼・三代豊国] 天明6年(1786)〜元治元年(1864)
江戸時代後期を代表する浮世絵師。役者絵で人気を博した初代歌川豊国が没した1825年以降のおよそ40年間は、葛飾北斎を別格とすれば、人気・実力ともに最大の絵師といってよい。氏は角田、俗称庄蔵。江戸本所五ツ目の渡し場の株を持つ亀田屋庄兵衛(俳号、五橋亭琴雷)の子。幼い頃より浮世絵を好み、15歳で歌川豊国に入門。以後急速に頭角を現す。初筆は1807年の「二見ヶ浦初日の出」(大判三枚続)で、翌年春刊には複数の合巻(挿絵入り小説)の絵も担当する。1809年には錦絵の揃物を出し、「五渡亭」の号を使い始める。1811年頃から豊国が没するまでの約15年が最も魅力的な役者絵を描いた時期で、「大当狂言」など写実と誇張のバランスに配慮し、役者の魅力を引き出す清心で躍動感溢れる作品を多く世に出した。美人風俗画にも新様を開拓、「北国五色墨」「新板錦絵当世美人合」「星の霜当世風俗」の大判シリーズや、十二ヶ月美人風俗画の三枚続のシリーズなど、生活臭の立ちこめる粋で嬌艶な女性を描き出す。
文政(1818〜30)後期頃から香蝶楼号を使用し始め、天保期(1830〜44)には第一人者として役者絵と美人画を多作した。1844年、師名の豊国を嗣ぎ、「歌川豊国」を名乗る。最高度に発達した彫摺の技を生かした錦昇堂版役者大首絵や「豊国漫画図絵」「今様三十二相」などの大判シリーズは、鮮烈な色料が醸成する効果もあってそれ以前の錦絵にはない魅力を持つ。江戸後期の浮世絵界に君臨し、浮世絵師中最多といわれる作品を残したと言われており、世界のコレクター、博物館、美術館に数多くの作品が収集されている。